映画 「スターウォーズ/スカイウォーカーの夜明け」

スターウォーズの既存シリーズの最終話ということで、「スターウォーズ/スカイウォーカーの夜明け」を観に行った。(既に新規シリーズ三部作を制作することが発表されているのでスターウォーズ自体は続く)


前回の「最後のジェダイ」で駄作認定したので、全く期待せずに最後だからと観たのだが、期待を裏切らない駄作ぶりだった。まだ日本の子供向けアニメの方が面白いのではないか?(私自身は年齢的に、もうアニメ自体を見ていないが)

全体的な評価は、物量に頼った過剰な映像に、ご都合主義でやたらと続くアクションに、全編に鳴り響く無駄に壮大な音楽、という言葉で表すことができる。ストーリーは、最近のすれた子供達にも馬鹿にされるであろう、小学校低学年レベルのご都合主義のオンパレード。物語の流れに起伏を作るための意図的で意味不明な制限・障害、主人公達を助けるためのアイテムや人間がほいほい出現してくるのには、もう呆れかえってしまった。敵の船内での肉弾戦シーンを演出するためだろうが、敵側のどこでもフリーパスになる希少なコインが、パイロット(名前忘れた)の貧民街に住む昔の恋人からタダで手に入るところでは、脈絡のない、あまりの荒唐無稽さに目と耳を疑い、文字通り、開いた口が塞がらなかった。チューバッカとカイロ・レンと主人公のレイが、死んでしまったはずなのに実は生きていた、あるいは、蘇った、というのは、一つの映画で三回も同じネタを繰り返すのはいくらなんでもマンネリで、多過ぎだろう。説明的なセリフも多かった。

最大の問題は、主人公のレイが悪の親玉パルパティーンの孫だったというもので、個人的な偏見を含めて書くが、悪の血筋であっても善なる力に感化されて正義の血筋になるというところなどは、表向きを偽った、キリスト教の伝道・教化映画をディズニーが作っているのではないか?そう思ってしまった。善と悪をはっきり分け、悪はどこまでも邪悪に描き、正義側に黒人やアジア系を重要な役に配置しておいて、「みんながキリスト教徒になれば世界は平和になりますよー」とでも主張しているように感じる。フォース(キリスト教の正義)と共にある者は最後には必ず勝つ、らしい。異形の異星人を多数配役して恋愛や友情を描く方が、スターウォーズの世界観に適合するはずで、地球型の人間ばかり出演させる意味はない。

–映画「スターウォーズ/スカイウォーカーの夜明け」

少し他人の感想をネットで調べてみたが、スターウォーズ・ファンの奥歯にものが挟まったような、事前知識過多な解釈的評価ばかりで、「作品そのもの」を観た評価がなかった。事前知識やオタク的解釈(外面的な価値基準)を、作品の外部から導入しないと語れないなどというのは駄作の証明である。作品の内部(映像表現、流れ、人物の感情の起伏など)から観るものが何かを受け取ったと感じられないのは失敗作だ。(B級アクション映画でも良い作品は痛快感・爽快感があるはず)

まあ、これで、何にしろ、終わった。私はもうスターウォーズは観ません。

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