小説 「宇宙飛行士オモン・ラー」 ヴィクトル・ペレーヴィン 群像社

去年ある記事で、ヴィクトル・ペレーヴィンという現代ロシア作家を知った。
ずっと読みたいとは思っていたのだが、一般書店に置かれているようなメジャーな小説ではないので、ほとんど忘れかけていたのだが、AmazonでHDDを探している時になぜか思い出し、そのままAmazonで注文した。
–小説「宇宙飛行士 オモン・ラー」ヴィクトル・ペレーヴィン 群像社

ソビエト時代の宇宙飛行士になることを目指した主人公。寓話化されたソビエトの宇宙開発組織と技術(なぜか重要で複雑な制御や動力が手動操作と人力)で、カフカの「城」のような可笑しさと容赦なさを持って描かれていた。
カフカの「城」だと、実体があるような、ないような城の官僚機構の分からなさが延々と語られるのだが、この小説では寓話化されてはいても、ソビエトという歴史的実体を持った具体的な名称や場所が文章の端々に描かれ、揺るぎないある種のリアリティを感じさせる。
「<子供の世界>の行列にならんでいるときや地下鉄でジュルジンスカヤ駅を通過するとき、足下深くに何があるかは十分承知しているだろう。だからここではいちいちくりかえさない」とか、何気ない描写で、その時代と場所のイメージが一瞬頭によぎってしまう記述があり、ロシア人が読むと、また何か日本人には感じられない別のリアリティがあるのではないかと思う。
航空学校に入学した生徒はすぐ睡眠薬で眠らされ、両足を失っても戦ったソビエトの英雄に倣って、問答無用に両足を切断される–もちろん主人公も。具体的な記述はないが、義足をつけて訓練を行う。(社会主義的魂の鍛錬らしい)

主人公は外部の論理を持ち込むことなく、怯まずに月面走行車のペダルを漕ぐ。つまり「自転車」を月面で漕いでいくのだが、訓練の場面でも意味のなさそうなことに、皆が全力で精力的に取り組んでいく姿が描かれる。
だからこそ、打ち上げのとき、第一段ロケット切り離し担当、第二段ロケット切り離し担当、月面走行車切り離し担当の同期生が、ただボタンを押すためだけに乗り込んで、役目を終えたら死んでいく姿に、子供のころ宇宙戦艦ヤマトを見た時のように、胸が熱くなってしまった。
あと、非合法の海賊版だと思うが、地下でソビエトでも流行していたらしい、ピンク・フロイドの「月の裏側」が暗示的に挿話として出てきたりする。

事実だけを追っていくと悲惨なストーリーなのだが、社会主義体制の中でも彼なりの主体性を持って生きている風に感じられ、寓話化されたソビエト社会主義体制の不条理は描かれるが、主人公を含めた登場人物に暗さは感じられない。
情緒に傾きがちな日本の作家では書くことのできない、稀有な小説だった。

ついで、ペレーヴィンの長編「チャパーエフと空虚」を読んでみた。

作者の乾いたユーモア文体が発揮されていて、これも面白い小説ではあったが、「オモン・ラー」にあったような、胸の熱くなるようなことはなかった。それと戯画化された日本の場面があって、外国人が読めば面白いのかもしれないが、私は全く楽しめず、つまらないと思ってしまった。これは最近テレビでよくやってるような、「外国人が日本に来て面白いと思った物や場所」が、日本人にとってはピンとこないのと同じことなんだろうと思う。興味を持つポイントが違うということで仕方がない。
オモン・ラーの主人公のイメージと重なる、「チャパーエフと空虚」の主人公だが、現実にひるむところなく独自の妄想(?)世界を、悲観的になることなく、むしろ楽し気に突き進んでいくのを、気持ちよく読んでいけた。
ただ、ヴィクトル・ペレーヴィンの他の著作を読んでみたいと思うほどには、引き込まれることはなかった。「ただ単に面白い小説」でしかなかった。
読まずに断言してしまうのはよくないかもしれないが、私にとっては、「宇宙飛行士オモン・ラー」が彼の初々しい切実さとでもいうものが無意識に盛り込まれた、彼の最高傑作ではないかと思うからだ。

群像社という紛らわしい名前の小さな出版社だが、出版不況の中でも細々と、日本ではマイナーな書籍を出し続けていけるのは素晴らしいことだと思う。

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